地盤沈下のその先

観たもの、読んだもの、聴いたものについての感想文を書きます。

2019年が終わる

残念ながら、今年に入ってからは悲しいことがたくさんあった、という振り返りにならざるを得ない。

 

友人の自殺

2019年1月も終盤、とあるゲーム繋がりでもう5年ほどの付き合いになる同期の集まりに突然降って湧いた訃報だった。お互いに私生活が忙しく若干疎遠になりかけていた頃、われわれは彼が精神を病んで入院していたことを知らなかった。当時死因は明かされず式にも呼ばれることもなく、ただそのつらい知らせを飲み込むしかなかった、というのが実感を伴った感想である。

 

彼の母親から「息子の写った写真があれば提供してくれないか」という連絡が友人伝いにやってきたものの、とても親御さんには見せられない尖った写真ばかりが出てきたというのは、今では微笑ましいかもしれない。それでは自分らが死んだときも困るだろうと、その同期のメンバーで飲み会の体で集まり、まともな集合写真を撮った。

 

この集まりの中には鉄道に詳しい者もおり、彼によればその訃報を受けた日の朝に、とある在来線で人身事故が起こっていたらしい。そのような憶測だけを立てるのは良くないとその場ではなったが、亡くなった彼を通じて知り合った別の友人によれば、死因はやはり自殺であり、統合失調症を患っていたという。

 

彼がどのような理由で精神を病んでしまったのか、なんとなく想像はつく。最も悔やまれるのは、われわれがそのことに対してあまり真面目に取り合おうとしなかったことだ。相談がなかったのも事実だが、命が失われてはそんな事実など何の役にも立たない。死んでしまってはすべてが遅いのだ。そのことを、わたしはようやく身をもって知った。

 

大好きなミュージシャンの死

得も言われぬ喪失感を拭えないまま新しい年度を迎えた4月の6日。ロックバンド・ヒトリエのツアーライブが突如中止となった。嫌な予感を抱えていると、8日には、その瞬間に一番聞きたくなかった「お知らせ」が流れてきた。

www.sonymusic.co.jp

wowaka、急性心不全のため4月5日に死去。享年31歳。当のわたしはあと一週間足らずで22歳になろうかという時期。

 

のちに新木場STUDIO COASTで追悼式が行われ、大好きなあの人の遺影と寂しそうな2本のギターの前で花を備えては、手を合わせた。

手紙を描いていこうか、祈る時になんと祈ろうか、行きの長い電車の中でそんなことを延々と考えていたが、いざその現実、この人はもういないのだという現実を目の当たりにしてしまえば、そんな悩みは塵に等しかった。ただただ悲しい。寂しい。悔しい。なんだか感じたばかりのような感情が一気に胸を満たして、涙となって溢れてくる。陳腐な表現だが、そうとしか言い表せない。何も、何も伝えられなかった。なかなか立ち会えない、あこがれの人の前なのに、自分が悲しくて泣いただけ。惨めだった。

 

しかし他ヒトリエの3人の姿勢を見て、魂が震えた。親しい人の死を乗り越えるさまはかっこよくて、それでも逆にその人の不在が余計に際立って、最後にライトで表現されたヒトリエちゃんの俯きがちなポーズも、なんだか胸を締め付けられる。本当はあれくらいのテンションでいたいのだ。悲しい時に目一杯悲しんでしまうだなんて、ひねりがなくてつまらない。ヒトリエちゃんくらいの寂寥感を背中にしょって、タバコの一本でもくゆらせたかった。でもそのあこがれは、あの人へのあこがれにも似ていたのかもしれない。中学生の頃からわたしを励ましてくれた大好きな音楽たちは、ついにいつまでもわたしの手には届かなかった。それでいいんだ、と帰りに駆け込んだコメダ珈琲で心を落ち着けた。

 

まだ行けてもいない京都

そうして心休まらぬまま、あの事件も訪れた。

ja.wikipedia.org

はじめに報道を受けた時にはそれなりの心配程度だったものが、どんどん被害が大きかったことがわかっていき、心もまたその波及に伴って重たくなっていた。ここにも、大好きな作り手がたくさんいて、仕事をしていたはずなのだ。そこを、燃やされてしまった。実はこのことで家族にも少し心配されたが、自分の気持ちを理解した上で接してもらえている実感が沸かず、すべて生返事。そのくらい、心の整理もついていなかった。

実名報道についてひと悶着あったあと、奇しくも新木場にある企業へ面接に行く最中にその名前は公表された。覚悟はしていたが、その文字列を目にした途端、あの時と同じ電車の中で視界は歪んだ。窮屈なスーツが厳しい現実を余計に強調してくるかのようで、すぐにでも逃げ出してしまいたかった。足取りも覚束ず、生きている実感が丸ごと遠のいていく感覚。日頃お世話になっている方が状況を察して暖かい助言をくださり、なんとかその面接に臨むも、結果はお察しの通り。何を話したのかさえ、まったく思い出せない。受かるか落ちるかよりも、頭にこびりついて離れないものがずっとあった。

実は前述した、自殺した友人のことを語った彼と、京都アニメーションの作品にどっぷりとハマっていた。彼はアニメーション監督・今 敏の大ファンでもあり、今監督もまたわれわれがその凄まじさを知る頃にはとっくに故人であった。なんだか、われわれがアニメーションを愛するほど喪われていくものがあるようで、わたしとしてはとにかくこの世に対しての「居心地の悪さ」を感じ始めていた。本当はそんな因果関係はないのだが、そういった理由を考えつければ、楽にでもなったのだろう。死は平等に理不尽である。

 

2020年に向けて

来年にはこの様々な思いを込めた『BLUE』という芝居を打つ。この2019年にあったことの、自分なりの総決算としてこの舞台を打ち出している。

公演HP http://nigeki.jp/blue/

こういったことを上演前に公開するのもどうなんだろうと思うのだが、とにかくこの思いにだけは、年を越させたくなかった。忘れたくはないが、未練たらしいこととは別のはずだ。いつまでも引きずられてできることもできなくなってしまうようでは、人が死ぬ意味をもっともっと薄っぺらくしてしまうような気がする。書いているうちに年が明けてしまいそうである。というわけでこの記事の中であオチが付くわけもないので、そこはわたしの作品に譲るとしよう。わたし自身の思いを込めたとはいえ、もうそれはわたしの手を離れつつある。これから迎える新年とともに、その作品としての進化が、とても楽しみである。